工学部の歴史

開学記念日6月1日の所以


 毎年6月1日は、群馬大学の開学記念日です。なぜ、4月1日ではないのでしょうか?そこにはどんなドラマがあったのでしょうか?工学部の歴史側からこのことを見てみましょう。

大学昇格の機運
昭和20年8月、敗戦を迎え、GHQ配下の元昭和24年5月国立学校設置法が成立し、大学制度改革の大綱が決まりました。この改革の動きに応じて、工学部の前身ですでに大正4年「桐生高等染織学校」として創立し、大正9年改名「桐生高等工業学校」、昭和19年再改名「桐生工業専門学校」は、大学昇格を目指すか、(当時の上級中学にあたる)高等学校にとどまるかの岐路に立たされたのです。

学生は昭和22年1月21日、24日の2回にわたり学生大会を開いて大学昇格を決議し、『大学昇格対策委員会』を結成しました。同窓会も同年2月10日、富樫理事長と吉田副理事長が文部省に出向いて昇格を陳情を行い、大学昇格を目指す動きが急務となりました。

同年4月、当時の平田校長は、本学としては4年制の単科大学の設置を目標とする旨を声明しましたが、文部当局の意向として学校中心の昇格運動が抑制され、大学昇格委員会の解散を余儀なくされたのです。

これで大学昇格をあきらめたわけでなく、大学昇格に関連して学内設備の拡充が急を要するものであり、これを強力に推進するため大学昇格委員会に代わって桐生工専後援会が新たに設立されました。

昭和23年4月、本学では単科大学への昇格を考慮して、新学制による4年間の教育を完成後、その上に大学院設置を将来計画に持つ『桐生工業大学設置認可申請書』を作成してして、大学昇格の推進を計ったのです。

しかし、同月18日群馬県下の専門学校(前橋医科大学・桐生工業専門学校・群馬師範学校・群馬青年師範学校)長会議が開催され、群馬県に設置する新制大学は4年制の総合大学にするという基本線が確認され、本学の路線は大きく転換せざるを得ない情勢となってしまいました。

総合大学への道のり
昭和23年4月24日、県知事、県議会議長、県教育部長、各専門学校がある前橋・高崎・桐生の各市長および前橋医科大学長、各専門学校長を構成員とする『群馬大学開設打合せ幹事会』が設けられ、『群馬県における官立新制大学設置基準要項』が決定されました。

平田校長は、同年5月14日、この結果を教官会議に報告し、具体的案作成のための組織、施設、予算等の専門委員を選出し、6月12日には同窓会総会で、総合大学になる方針は国状からみて止むを得ないものであるとして了解を求め、重ねて設備充実の支援を依頼しました。

しかし、学内、同窓会のなかには依然として桐生工業大学の設置推進を望む気持ちが根強くのこされ、単科大学の可能性がないと断定するのは早計であるとの考えから、今後は将来に備えて前期2年の一般教養課程を桐生に置き、工学部を1年次から独立した形で発足させることに運動の中心が移されました。

そこで6月21日の教官会議には、前原桐生市長と横山同窓会代表が出席し、教官会議も一般教養過程を前橋に置くことに対して反対を決議、さらに翌22日の工専、医大、師範の3校長会議3校長会議にも前原、横山の両氏が出席して決意を明らかにし、23日には平田校長、市長代理、同窓会代表が文部省への陳情が行われました。

一方、群馬大学開設打合せ幹事会では群馬大学の設置基準を推進するため、さらに強力な委員組織を構成することにし、『群馬大学実施準備委員会』を設け、その下部組織として、組織、設備、予算の3専門委員会を置き、昭和23年7月31日、文部省に対し、正式認可申請書を提出する運びとなりました。

『群馬大学実施準備委員会』の予算は、総額14,200万円、4年間で完成を期し、うち工学部の予算は新営費、設備費合わせて1,400余万円、将来計画として繊維工業研究所新設が取り上げられました。

同年11月には、群馬県における国立の新政大学となるべき群馬大学の設置、ならびにその完成を期し、促進するために新たに知事を会長とする『群馬大学期成同盟会』が設立されました。

昭和24年1月7日に、新政大学設置審査委員が来県し、7日に桐生工専、8日に群馬師範学校・群馬青年師範学校、9日に前橋医大を視察し、その後伊能知事をはじめ関係者に対して調査事項全般にわたる指示がなされました。

工学部は、校地の拡張、図書・標本・機械器具などの拡充設備、一般教養の学科が理科系に偏していること、一般教養の履修は一か所で実施するよう計画することなどが指示されました。

昭和24年3月26日に大学設置委員会は、学芸学部、工学部に履行条件を付して群馬大学の設置を認可し、昭和24年度から総合大学としての群馬大学が開学される運びとなりました。

この背景の中、同3月、大学昇格にともなう諸般の設備拡充援助、ことに運動場敷地問題解決のため、市長を会長とし、市、市有力者、同窓会などで構成する群馬大学後援会が設立されました。

しかし、4月1日に新制大学発足の予定は、国立大学設置法の成立が遅れ、同年5月31日同法の成立により、6月1日、ようやくここに待望していた群馬大学が正式に設置開講の運びとなったのでした。 

(以上、平成2年10月1日発行の工学部75年史より抜粋)

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